「色んな役を演じたい」 阿部寛を奮い立たせる”貪欲”さのワケとは?

実力があり多くの人に親しまれている人気俳優、阿部寛さん。今回は、その圧倒的な演技への熱量をもつ阿部さんの過去に迫ってみました!どんな思いがあるのでしょうか。

目次

仕事をもらえなかった下積み時代。

画像引用:Yahoo!ニュース

阿部寛さんは現在人気俳優として大活躍していますが1985年に雑誌モデルでデビューしてからは順風満帆な芸能活動を送っていたわけでは無いそうです。
本人によると、デビュー当時は期待されていない俳優だったそうで同じような役ばかりしていたそうです。もっといろいろなタイプの曲を演じたいと思っていた時期があるそうで、そのためには自分から実力を示していくしかないと思って一念発起したそうです。これが今の阿部さんの活躍につながっているんですね。

「30代はいろいろな役に臨みました。その姿勢がいまもずっと続いているんです。「こういう役もできる」「こんなキャラクターもやりたい」という貪欲さの根底には、悔しかった当時の思いがあります。」(本人コメント)

役者として成功につながった転機とは?

このように決して順風満帆な活動を送っていたわけでははない阿部さんですが、そんな彼が俳優として成功につながったきっかけは何だったのでしょうか。

このことについて阿部さんは次のように語っています。

「一つひとつの芝居にこだわりを持つようになったことです。20代のころは、セリフを言って監督がOKを出せばそれでいいと思っていて、自分のなかにこだわりというものがまったくなかった。だから芝居の楽しさがわからなくて、次第に仕事が減っていったんだと思います。  しかし、ある作品で「最低でも1万回やらないと見えてこない所作」を習ったときに、すごい世界だと感じるのと同時に、それまでの自分がやるべきことをなにもやってこなかったと気づきました。そこから芝居への向き合い方が大きく変わって、役作りにこだわりを持つようになり、仕事のよろこびにもつながりました。  そう気づいてから積み重ねてきた鍛錬が実った作品が『凶銃ルガーP08』(1994年)です。拳銃に翻弄される商社マンを演じて日本映画プロフェッショナル大賞の特別賞を受賞し、初めて役者として評価されました。」(本人コメント)

阿部寛の理想の将来像

現在俳優として成功し、実力派としての道を歩んでいる阿部さんですが、将来はどのようにしていきたいのでしょうか。このことについては、本人も基本的には似たようなものより全く異なる役柄を演じていきたいとコメントしています。

また今後の人生の展開としては自分でもまだよくわからないそうです。しかし、俳優としての熱量がそのまま持ち続けたいと言う意思が感じられますね。

「50代になりましたが、正直まだわかりません。ただ先日、大滝秀治さんが和尚役を演じた昔のNHK大河ドラマを見て、やはり衝撃を受けた。以前、撮影現場で目にした大滝さんのこだわりがとても印象的で、それからずっと尊敬している方なんですけど、その達観した和尚姿からあふれるパワーがすごかった。役に対する“思い入れの強さ”が見えたとき、自分もそういうものを持っていたいと思いました。  それまでは、70代になったら年相応に力を抜いて自然に過ごしていきたいと考えていました。でも、大滝さんのパワフルな芝居を見て、とても「うらやましい」と思ったんです。そういう憧れを持っていると、ここから先どうすればいいかが自分のなかから自然に湧いてくる、いまはそう思っています。」(本人コメント)

阿部寛プロフィール

画像引用:Yahoo!ニュース

1983年「ノンノ」「メンズノンノ」の専属モデルとしてデビューしカリスマモデルとして活躍。

1987年映画「はいからさんが通る」で俳優デビュー。しかしその後は仕事に恵まれず露出が減る

 

その後2000年のテレビドラマ「TRICK」で再ブレイク。以降は「結婚できない男」「幸せの黄色いハンカチ」「テルマエ・ロマエ」「下町ロケット」などの話題作品に出演。実力派俳優として活躍することとなった。

まとめ

いかがでしたでしょうか。阿部寛さんの俳優としての意識の高さや情熱が伺えましたね。これからもますます演技に磨きをかけていくと思われます。今後の活躍に期待です。