2019年12月に81歳で亡くなった俳優の梅宮辰夫さんについて今回は調査しました。
昭和の大スターの梅宮辰夫さんが亡くなったことで、メディアでは若いころの梅宮辰夫さんが取り上げられました。
その画像がイケメンすぎるとネットで話題になっていましたので、梅宮辰夫さんの若いころの画像を紹介します!
また、数々の夜の伝説も残してきた梅宮辰夫のやんちゃエピソードも一緒にご紹介します!
目次
梅宮辰夫のプロフィール
引用:産経ニュース
名前:梅宮辰夫(うめみや たつお)
生年月日:1938年3月11日‐2019年12月12日
出身地:満州国
活動期間:1958年-2019年
身長:174㎝
職業:俳優・タレント・実業家
梅宮辰夫さんは1958年に東映ニューフェイスの5期生に合格して芸能界入りを果たしました。
1959年に公開された映画「少年探偵団」で主演で出演し、アクション映画や任侠映画など様々なジャンルで出演するようになりました。
「帝王シリーズ」や「仁義なき戦いシリーズ」をはじめ、1970年代からはドラマ「スクールウォーズ」「はぐれ刑事純情派」などテレビドラマへの露出も多くなりました。
1972年にアメリカ人のクラウディアさんと結婚し、その年にタレントやモデルとして活躍している梅宮アンナさんを授かりました。
実業家としても知られており、料理家として「梅宮辰夫漬物本舗」や「梅辰亭」などでフランチャイズチェーン展開をし事業もしていました。
バラエティー番組にも数多く出演し、若い世代にも認知されていた梅宮辰夫さんでしたが、2019年12月12日に慢性腎不全のため81歳で亡くなりました。
梅宮辰夫さんの主な代表作品はこちらです。
- ドラマ「前略おふくろ様」
- ドラマ「明日の刑事」
- ドラマ「江戸プロフェッショナル・必殺商売人」
- ドラマ「大激闘マッドポリス’80」
- ドラマ「スクール☆ウォーズ」
- ドラマ「はぐれ刑事純情派」
- ドラマ「特命係長 只野仁」
- 映画「夜の歌謡シリーズ」
- 映画「帝王シリーズ」
- 映画「仁義なき戦いシリーズ」
【画像】梅宮辰夫の若い頃のイケメン写真
引用:サンスポ
2019年12月に81歳で梅宮辰夫さんが亡くなったことで、多くのメディアで梅宮辰夫さんの悲報が取り上げられました。
その中で、梅宮辰夫さんの若いころの写真など生い立ちなどが取り上げられ、梅宮辰夫さんの若いころがイケメンすぎると大きな話題になりました。
こちらが梅宮辰夫さんの若いころの画像です。
引用:nobicom
目鼻立ちも整っており、今の時代でも通用するほどのイケメン!
梅宮辰夫さんの若いころはかなりのイケメンで、大学在学中に銀座でスカウトされたことがきっかけで東映ニューフェイス5期生のオーディションを受けることになりました。
その後、見事合格し翌年には「少年探偵団」で主演も果たしています。
梅宮辰夫さんはルックスだけではなく、高校は私立早稲田高等学校を卒業しており、学業も優秀だったそうです。
大学は、日本大学法学部に進学しています。
梅宮辰夫さんは医学部が第一志望だったそうですが、受験に失敗し日本大学に進学しています。
大学時代にスカウトされ、東映に入ったのをきっかけに大学は中退しています。
梅宮辰夫さんが売れるきっかけとなった出来事は、当時東映で売り出し中だった俳優の波多伸二さんが事故死したことで、梅宮辰夫さんが売り出されるようになりました。
そこから、アクション映画や任侠映画など様々なジャンルの作品に出演するようになり、梅宮辰夫さんの名前は一気に全国区となりました。
超がつくほどのイケメンだった梅宮辰夫さんを知る関係者は「今のジャニーズとは比較にならない」と梅宮辰夫さんのモテ男ぶりを語っています。
そんな梅宮辰夫さんはそのルックスから女性も多く寄ってきたそうで、女遊びもかなり盛んだったそうです。
男前すぎる伝説のやんちゃエピソードの数々
引用:東京経済オンライン
超イケメンの梅宮辰夫さんは若いころ数々の豪快伝説を残しており、バラエティー番組でもその一部が取り上げられ芸能界では「辰兄伝説」とも言われています。
銀座で豪遊
梅宮辰夫さんは当時、毎日のように銀座で豪遊生活をしていたそうです。
梅宮辰夫さんをよく知る人物によると「銀座が彼の故郷」とまで言っています。
銀座に毎日通っていたので、スーツも銀座のクラブのロッカーに置いてあり、パジャマで銀座で行ってロッカーで着替えていたそうです。
女遊び
夜の帝王とも言われていた梅宮辰夫さんは女遊びもかなり豪快だったそうです。
当時を知るカルーセル麻紀さんは梅宮辰夫さんと初めて熊本であって、いうきなりキスをされたと語っており、性転換手術をしたカルーセル麻紀さんに対して「処女をおれにくれ」と何度も電話で言われたそうです。
梅宮辰夫さんとプライベートで仲の良かった松方弘樹さんは当時を語り、「可愛い女の子を手に入れないと芸が伸びないという気持ちがあった」と話し、その場にいた梅宮辰夫さんも「今の俳優は良い賞で芸を見せたいと思っているようだけど、俺は女、酒、金、車しか考えてなかった」と松方弘樹さんに同調をしました。
昭和の大スターたちの豪快っぷりは度々メディアでも取り上げられ、今では考えられないほどの遊び方をしていましたが、その中でもトップクラスで遊び人だったのが梅宮辰夫さんでした。
メディアでは語ることの出来ない豪快エピソードもまだまだありそうですが、今後梅宮辰夫さんを知る人物によって語られるのかにも注目です!
まとめ
引用:ザテレビジョン
今回は昭和の大スターの梅宮辰夫さんについて紹介しました。
今回の記事をまとめると。
- 梅宮辰夫さんは大学在学中に銀座でスカウトされ、東映ニューフェイス5期生オーディションに合格し芸能界入りしました。
- 2019年12月に亡くなったことで、若いころの梅宮辰夫さんが取り上げられ「イケメンすぎる」とネットで大きな話題になりました。
- 若いころの梅宮辰夫さんには数々の伝説があり、毎日のように銀座で遊んでいたことから「夜の帝王」とも言われていました。
昭和の大スターがまた一人、亡くなってしまい多くのファンが悲しみにくれました。
今後も梅宮辰夫さんの伝説が語られるのか?
女性からも男性からも憧れられる存在だった梅宮辰夫さんのご冥福をお祈り申し上げます。
最後までお読みいただきありがとうございました。