デビュー話

自信がなくてお金持ちになりたくて歌う中森明菜

今年デビュー40周年を迎えた中森明菜さん。しばらくの間メディアでの露出は無いように見えます。今回は、彼女の近況を調べてきました。

デビュー40周年だけど、どこに行ったんだろう?

引用:オリコンミュージック

 

今年5月、デビュー40周年目を迎えた中森明菜さん。中森さんは、のちに“花の82年組”と呼ばれる女性アイドル当たり年に『スローモーション』でデビューされました。

『飾りじゃないのよ涙は』『少女A』などのヒット曲でお馴染みですね。また、「ミ・アモーレ」と「Desire (デザイア)」で2年連続のレコード大賞を果たしています。

そんな時代を代表する歌姫の大切な節目の年に、特設サイトがオープンしました。40年分の楽曲やレコードジャケットなどのディスコグラフィーだけでなく、ライブ映像まで、彼女の足跡がまとめられています。6月には、デビューから10年間に発売された全シングルレコードなど30枚をセットにした限定BOXも発売されました。関係者によると、税込み4万8400円もするにも関わらず売れ行きは好調ということです。

しかし、この商品のどこを探しても現在の彼女の姿はありません。中森明菜さんは、2010年に活動休止、そして2014年に『紅白歌合戦』で復帰しました。2016年には新アルバムを発表し、ディナーショーを開催しましたが、実際には2010年に芸能活動の無期限休業を発表して以来、心身ともに不安定な状態が続いており、ここ数年は引きこもっているそうです。

テレビに出ればお金持ちになれると思ったらしい

中森さんは、「歌手になりたい」という夢のもとで芸能活動を行なっていたわけではないようです。

『JUNON』で、中森さんはこのように振り返っています。

「歌手になりたい!っていう願望じゃなくて、タレントさんになればお金持ちになれると思ったから。小さいころから、みんなが“お歌が上手ネ”っていってくれたから、じゃあ“スタ誕”に出て歌手になって、家族に車を買ってあげようと、そういうことしかなかったの。(中略)後悔はすごいですよ。何で私、歌手になっちゃったんだろうって…。」

自分自身のためではなく、家族のためだったと語っていますね。このことが彼女を苦しめてしまったのでしょうか。

自信がなくて表舞台に出られないのかも

中森明菜さんといえば、所属事務所やレコード会社との相次ぐ移籍トラブル、自殺未遂騒動でも知られています。そのことがダメージとなったのは事実ですが、関係者によると中森さんには“自信のなさ”が目立つそうです。

『JUNON』の1992年1月号では、

「目の前の人たちが嬉しそうな顔をしているから、私は歌うだけ」

「仕事に対してすすんでトライしようとか、才能をどんどん伸ばしていきたいというのがない」

などと発言しました。彼女の自信の無さを感じさせる発言はまだあります。続いては『with』の1993年11月号です。ここではこう語っていました。

「結局、女としてっていうより、人間として自信がないのね。いつまでたっても自信が持てないもの、私。“有名になった明菜ちゃん”からはそんなこと想像できないって言われる。でもホントにダメなのね。もう自信のなさが染み付いちゃってる」

表舞台に姿を見せない中森さんですが、今も復帰を待ち望むファンが多くいます。今後また姿を現してくれるといいですね。

中森明菜のプロフィール

引用:オリコンミュージック

氏名 中森明菜(なかもりあきな)
生年月日 1965年7月13日
学歴 明治大学附属高等学校定時制中退
所属 FAIZTH
デビュー年 1982年

16歳の時に出場した『スター誕生』合格を機に、ワーナー・パイオニアとのレコード契約を締結。1982年にシングル「スローモーション」でデビューし、2枚目のシングル「少女A」かヒット。1985年の「ミ・アモーレ」と1986年の「Desire」で2点連続となる日本レコード大賞を受賞。1992年には連続テレビドラマ『素顔のままで』(フジテレビ系)で女優デビューを果たす。

2004年にはプライベートレーベル歌姫レコーズを設立したが2010年10月、体調不良により芸能活動の無期限休止を発表。