逸見政孝の息子と娘の現在は?5億の借金や豪邸はどうなった?

フリーアナウンサーとして大活躍していた逸見政孝さんでしたが、1993年12月25日に48歳の若さで亡くなってしまいました。

逸見政孝さんが亡くなったことで5億円の借金を背負うことになってしまった家族は現在どうしているのか?

また、借金や大豪邸はどうなったのかについても紹介します。

目次

逸見政孝のプロフィール

引用:週刊女性

名前:逸見政孝(いつみ まさたか)

生年月日:1945年2月16日‐1993年12月25日

出身地:大阪府大阪市阿倍野区

職業:フリーアナウンサー・タレント

活動期間:1968年-1993年

所属事務所:オフィスいっつみい

逸見政孝さんは大阪市立阪南小学校を卒業、大阪市立阪南中学校を卒業、大阪府立阿倍野高等学校を卒業しており、一浪を経て早稲田大学第一文学部演劇学科に入学しました。

アナウンス研究会に所属していましたが、大阪出身ということもあり方言を使っていましたが、標準語のアクセントを徹底して覚えたそうです。

標準語のアクセントを覚えるために色々なことをしたそうでラジオとテープレコーダーを購入し、標準語のアナウンサーのラジオ番組を聞いて、テープレコーダーで自分の声を録音し、アクセント辞典を見て、自分のアクセントが間違っていないかを確認していたそうで、日常会話でも標準語を使うようにしていたそうです。

なぜ、ここまで徹底するのか?

逸見政孝さんがアナウンサーを志すようになった理由は、高校卒業後に受験した関西学院大学に不合格になり、当時交際していた彼女に振られてしまいそれを見返したいと思うようになり、自分でも出来そうな高収入の仕事は何かと考えた時「アナウンサー」だったそうです。

早稲田大学に進学した理由もアナウンサーとしてテレビ局に入社するに最も有利な学校だと言われていたからです。

その後、大学を卒業後の1968年にフジテレビに入社しアナウンサーになりました。

アナウンサーとして活動してからの主な代表番組は『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』、 『夜も一生けんめい。』、 『たけし・逸見の平成教育委員会』などです。

フジテレビでのアナウンサー経験を経て、1987年にフリーアナウンサーに転身しました。

逸見政孝の息子と娘は現在どうしている?

引用:スポニチ

フリーアナウンサーとして活動してから数年後の1993年12月に逸見政孝さんはガンの為48歳の若さで亡くなりました。

逸見政孝さんは妻でエッセイストの逸見晴恵さんとの間に二人のお子さんを授かっており、長男がタレントの逸見太郎さん、長女は元女優の逸見愛さんです。

逸見政孝さんの二人のお子さんは現在どうしているのか?

長男 逸見太郎

長男の逸見太郎さんは1972年12月24日に東京都で誕生しました。

15歳の頃にイギリスに留学しており、大学はエマーソン大学を卒業しています。

1998年には北野武監督の映画「HANA-BI」で俳優デビューを果たし、ドラマにも出演するようになりました。

2009年には「5時に夢中!」の司会にも抜擢され、「5時に夢中!サタデー」になってからも司会を務めています。

その後も主に司会業を中心として活動するようになります。

現在の逸見太郎さんですが、2012年に「5時に夢中」を突然降板し、「福島まるごとライブ ヨジデス」も2017年に終了してしまったので、現在は「緊急検証シリーズ」が唯一のレギュラー番組となっております。

長女 逸見愛

長女の逸見愛さんは1975年3月10日に東京都で生まれました。

逸見愛さんも長男同様に1990年にイギリスに留学しています。

帰国してからは女優としてドラマや舞台中心に活動するようになりました。

しかし、2012年に芸能活動を自粛する形でテレビからは姿を消しました。

自粛した理由について詳しく明かされておらず、引退発表をしているわけではありませんので、あくまでも自粛を現在まで続けている状態です。

5億の借金は?豪邸の今は?

引用:エンタメニュース

ガンで48歳という若さで逸見政孝さんは亡くなりました。

そんな、逸見政孝さんが亡くなってしまったことで残された家族は約5億円の借金を背負う形となってしまいました。

なぜ、5億円もの借金を背負ったのか?

逸見政孝さんのガンが見つかる約3カ月前に12億円もする豪邸を逸見政孝さんは完成させました。

大豪邸は広さ140坪で、間取りは7LDK。

英国風の外観で、家具も夫婦で全て選んだそうです。

そんな大豪邸のローンが残っている状態で逸見政孝さんは亡くなってしまいました。

逸見政孝さんが亡くなり生命保険と遺産で7億円の支払いは出来たものの、残りの5億円は借金という形で残された家族が背負うことになりました。

豪邸を売れば解決した問題でもありましたが、逸見政孝さんの成功や思い出が詰まった豪邸を妻の晴恵さんは売却することが出来ませんでした。

晴恵さんは借金を返済するために、元々活動していたエッセイと公演活動を再開させました。

公演に関しては年間100回以上も行っていたそうです。

借金返済の為、一生懸命活動をしてきた晴恵さんでしたが、逸見政孝さんの死から17年後の2010年10月21日に肺胞蛋白症の為亡くなりました。

借金の5億円はほとんど返済したそうで、死の間際に晴恵さんは子供たちに「家をよろしくね」と言い残したそうです。

豪邸は現在息子の太郎さん夫妻と愛さんが住んでいると言われています。

12億円もする豪邸ですので、維持費だけで年間200万円もかかるそうです。

まとめ

引用:TV LIFE

今回はフリーアナウンサーとして活躍していた逸見政孝さんの大豪邸のその後について紹介しました。

今回の記事をまとめると。

  • 1993年12月に逸見政孝さんはガンの為、48歳で亡くなりました。
  • 亡くなる直前に完成した大豪邸は12億円で、逸見政孝さんが亡くなったことで家族は5億円の借金を背負うことになりました。
  • 借金返済の為、妻の晴恵さんがエッセイや講演活動を再開し、晴恵さんが借金をほとんど返済しました。
  • 現在は息子の逸見太郎さんと娘の逸見愛さんが大豪邸に住んでいます。

大豪邸の借金は無事に返済されたそうですが、残された家族はとても苦労したようですね。

ただ、大黒柱の逸見政孝さんの思い出や成功が詰まった大豪邸を家族は手放すことが出来なかったようです。

今後も逸見政孝さんの大豪邸は家族から家族へと引き継がれていくのかもしれませんね。

最後までお読みいただきありがとうございました。