今やバラエティ番組にはなくてはならない存在といえる滝沢カレンさん。
バラエティ番組で使う片言な日本語から、海外で育ったことがあるように見えて日本生まれ日本育ちで話せる言語は日本語のみという滝沢カレンさん。
滝沢カレンさんの父親はウクライナ人、母親は日本人でバレリーナとして活躍している宮沢さゆりさんです。
今回は滝沢カレンさんの母親である宮沢さゆりさんと母娘のエピソードを紹介していきます。
引用:モデルプレス
目次
滝沢カレンのプロフィール
基本情報
愛称:キャレン・カレン
本名:宮沢まりな
生年月日:1992年5月13日
出身地:東京
身長:170cm
血液型:AB型
靴のサイズ:25cm
スリーサイズ:上から81-58-85
所属事務所:スターダスト・プロモーション
趣味:ホットヨガ、海外旅行、筋トレ
活動内容:タレント・モデル・女優
経歴
滝沢カレンさんは東京都出身のファッションモデル・タレントです。
幼少期からファッションに興味があり、モデルを目指していた滝沢カレンさんは渋谷でスカウトされたことがきっかけでモデルの芸能事務所であるスターダス・プロモーションに所属します。
ファッション雑誌「Seventeen」のモデルオーディションでグランプリを受賞し専属モデルとして活動を始めます。
ファッションモデルとして活動しながら女優業も行い、2009年公開の映画「ROOKIES-卒業–」ではマドンナ役として出演しました。
2015年に出演したトークバラエティ番組「踊る!さんま御殿!!」での独特な日本語が注目を浴び大ブレイクしました。
感覚的な言葉が特徴で数多くのバラエティ番組に出演し、話題の人となっています。
2020年4月には分量を示さないレシピ本「カレンの台所」を出版。
滝沢カレンさんの超感覚的な言葉のみのレシピ本は「読み物として楽しくて、料理本来の楽しさを思い出させてくれる」と評判になり大ヒットを記録しています。
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引用:滝沢カレン公式Instagram
滝沢カレンの生い立ちが壮絶!母親はすごい人だった!
ウクライナ人の父親との別れ
カレンさんの父親は母親のさゆりさんの妊娠中に浮気をし、ウクライナへ逃げてしまったんだそう。
カレンさんがお腹にいるときに離婚したため、
その為、母親が女手一つでカレンさんを必死で育てたそうです。
滝沢カレンさんは父親との別れを「ハッピーな生き別れ」と表現していますが、相当辛い出来事だったと思います。
カレンさんの小学生時代のあだ名はダースベーダー?!
滝沢カレンさんは1999年4月に世田谷区立松原小学校へ入学し、2005年3月に卒業しています。
その頃のカレンさんは髪が茶色く、からかわれるのが嫌で髪の毛を濡らして「黒く」見えるようにしていました。
そのような見た目から周りの友達からは「ダースベーダー」というあだ名で呼ばれていたそうです。
変なあだ名に加えて「国へ帰れ」などとからかわれたりといじめの標的にされてしまったといいます。
また、小学5年生ですでに身長が168cmもあったことから、電車に乗る際に子供切符で改札を出ようとしたら駅員に「小学生じゃないでしょ!」と注意を受けたこともあったそうです。
家に帰ってからランドセルを放り投げて「なんで髪が茶色いんだ!」と毎日悲しみ泣き喚いていたといいます。
引用:芸能人有名人学歴偏差値.com
母はバレエ教室の経営とロシア語の通訳をしていた!
宮沢さゆりさんは幼少期からバレエを習いたいと思っていましたが、母親が厳しく習うことを許してもらえませんでした。
しかし、そこで諦めなかった宮沢さゆりさんは母親に内緒でバレエ教室に通っていたというエピソードがあります。
反対されても内緒で通うという行動力は凄いですよね。
さらに、宮沢さゆりさんはボリショイバレエ「ロミオとジュリエット」のバレエを観に行ったことがきっかけで、益々バレエの魅力にのめり込んでいったといいます。
ロシア語を勉強すればもっとバレエの世界観に触れることができると考えた宮沢さゆりさんは独学でロシア語を勉強し、高校卒業後ロシアへ留学してます。
日本帰国後はロシア人バレエ講師の通訳を担当し、その人に密着しながら「ロシアバレエレッスン」という本を出版しています。
宮沢さゆりさんの父親が経営していた表参道の建築事務所が閉鎖したの機に、そのスペースにバレエスタジオ「リビーナ(RYABINA)」をオープンさせます。
リビーナは港区北青山にあるロシア人の講師による本格的な”ワガノワメソッド”が受けられるバレエスタジオです。【ワガノワメソッドとは世界中のバレエ学校で取り入れらているロシバレエの教授法】
引用:銀鼠ニュース
母娘の感動エピソード
宮沢さゆりさんと滝沢カレンさんは何度かバラエティ番組で共演しており、幼少期の食事のマナーには厳しく、日本食を食べているのにオペラが流れている変わった家庭環境だったなどと様々なエピソードを披露しています。
2018年7月に滝沢カレンさんの母親宮沢さゆりさんは「ガン」で56歳という若さで亡くなっています。
2人は本当に仲がよく、宮沢さゆりさんが亡くなる直前まで同じマンションに住んでおり、宮沢さゆりさんの葬儀で喪主を努めたカレンさんは「生まれ変わっても、またママの子で産れたい」と涙を流しながら話したといいます。
親子の深い絆を感じるエピソードですね。
引用:nobicom
まとめ
引用:ダヴィンチニュース
ここまで、滝沢カレンさんと母親である宮沢さゆりさんの過去のエピソードについて深堀りして紹介してきました。
滝沢カレンさんのテレビでの天真爛漫な活躍の裏には壮絶なエピソードがあったことがわかりますね。
滝沢カレンさんの母親である宮沢さゆりさんもとても行動力がある方ですね。
バレエへの情熱で独学でロシア語を勉強し、そのままロシアへ留学。
帰国後はバレエスタジオの経営をしながら女手一つでカレンさんを育て上げるという一言で表すと「凄い母親」ですね。
滝沢カレンさんは最愛の母親を亡くし、相当ショックを受けていると思います。
しかし、そんなことを少しも感じさせず明るく振る舞っている滝沢カレンさんは素晴らしいタレントさんですね。
今回のエピソードを知り、今まで以上にテレビで活躍する滝沢カレンさんを応援したくなりました。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。