げんげんこと河野玄斗は東大医学部なのに司法試験に合格!?

日本テレビ系列のクイズ番組「頭脳王」に出演しており、東大医学部の神脳とも呼ばれ、有名になった彼の異例の経歴をご紹介したいと思います。

 

目次

河野玄斗のプロフィール

生年月日 1996年3月6日(25歳)

本名 河野玄斗

愛称 げんげん

出身地 神奈川県

学歴 東京大学医学部卒業

職業 タレント 著作者 YouTuber

所属 株式会社レプロエンタテインメント

引用:ウィキペディア(Wikipedia)

日本人では数十人しかいないと言われている医師免許と弁護資格の両方を取得している河野さん、いったいどのような経歴の持ち主なのでしょうか?

また、医師免許と弁護士免許の両方を取得された理由についてもご紹介します。

幼少期は海外に!?東大王は経歴から凄かった!

神奈川県で生まれた河野さんですが、幼少期はアメリカで過ごされていたようです。

その後、小学3年生の時に日本に帰国し、公立の小学校に転入しました。

その時にはすでに、公文の中学基礎課程や高校数学の基礎課程を終えていたというので、驚きです。

そんな幼少期、どんなご家庭だったのか河野さんはインタビューに答えていました。

今になって思うと「自由だったな」という印象です。親から何かを強制されたり制限されたりすることはほとんどなくて、勉強したいときには勉強をして、ゲームしたいときにはゲームをして、という感じでした。僕は子どもの頃からゲームが大好きで、一度やり始めたらとことんまで突き詰めたいタイプでした。

引用:リセマム

特に特別な教育や勉強をしていた訳ではないと語っていた河野さん。

あくまでも自発的に勉強に取り組んでいたようです。

更に河野さんは、

ゲーム攻略に没頭した少年時代の経験が、“与えられた以上のことを、片っ端っからやってやる”というモチベーションや、大学受験や司法試験といった最難関に挑む気持ちの土台となっていることは確かです。

引用:リセマム

今でも、河野さんにとって幼少期のゲームに注いだ情熱が土台にある事を語っていました。

中学は中高一貫の「聖光学院中等部」に入学し、その後「聖光学院高等学校」に進学します。

大学はご存知の通り、「東京大学理科Ⅲ類」に合格し、東大生となります。

しかし、東大受験の際には母親とかなり揉めていた様で、東大に合格する自信のあった河野さんは、

「東大以外は受けない」

と豪語したようで、

「他にも受けた方がいい」

と心配する母親とぶつかり合っていたようです。

結局、最後まで自分の意思を押し通した河野さんは、東大だけを受験し、見事に合格したのでした。

ですが、自信のあった河野さんは、

合格を知ったときも「そうだよな」という感じだったんですが、母はやはりホッとしたでしょうね。

引用:リセマム

と語っており、東大受験に対してかなりの自信があった事が伺えます。

東大を目指していた時の勉強法についても河野さんは、インタビューで答えてくれていました。

数学、英語、国語…教科によって勉強法は異なりますが、共通して言えることは「目的を意識して勉強する」ことだと思います。目先の課題を最低限終わらせることを目的とするのではなく、ゴール(目的)に向けて今自分はどの部分をやっているのか、を明確にすることが大切です。

引用:リセマム

東大入学後にはなんと「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」に出場し、ベスト30まで残った経歴もあります。

在学中もダンスサークルなどに所属し、勉強だけではなく、そこでも自由に大学生活を満喫されていたようです。

大学卒業後は友人たちと起業し、「株式会社Stardy」を立ち上げ、代表取締役を務める傍ら、タレント業やYouTuberとしても活躍されています。

東大医学部で司法試験最年少合格!

河野さんといえば、たった8ヶ月で司法試験に合格した事が有名ですが、医学部に在学しながらなぜ、司法試験の短期合格を目指したのでしょうか?

インタビューで河野さんは、当時を振り返っていました。

 東京大学では、2年の後期に入る前に専門学部を決める進学振り分けという制度があります。その頃に「自分にしかできなくて楽しくて人の役に立つものはなんだろう」と考えたところ、医者と弁護士の両方の資格を持った医療弁護士になりたいな、と思うようになりました。とはいえ医学部は6年間あるので、当初は司法試験の短期合格を目指すつもりはありませんでした。

引用:リセマム

進路の方向を決める時点で、河野さんは医療弁護士として、医師免許と弁護士資格の両方をとるつもりだったようです。

しかし、初めは短期での合格は目指していなかった事も語っていました。

ではなぜ、短期での合格に挑む事になったのでしょうか?

その理由は、同じ試験を受ける友人たちに触発されたものだったようです。

短期合格を目指し始めたきっかけは大学2年生の11月、翌年5月の司法予備試験を受ける友人たちと弁護士事務所にお邪魔したときのこと。現役の弁護士の方を交え友人たちが「みんなで絶対受かろうな!」って盛り上がっている場に僕もいて、「俺も受かるわ!」と調子よく公言したことが発端です。このときすでに予備試験までわずか半年。ずっと法学部で法律を勉強してきた友人からは「けっこう大変じゃない?」と言われましたが、その反応が逆に僕に火をつけました。「きっと大丈夫、見てろよ」って。

引用:リセマム

負けず嫌いな一面も持つ河野さんは友人からの何気ない一言が、河野さんにとって引くことのできないものになったかもしれません。

河野さんは、短期間でどのような勉強をしていたのでしょうか?

特に特別なことはしておらず、河野さんにとっては、まずは早いうちから勉強を好きになる事が大切だと考えているようです。

 中学、高校、大学…社会に出たあとも何かしらの勉強は続くことを考えると、早いうちに勉強そのものを好きにさせさえすれば、数十年後にはそれが何千時間分の勉強量になるかは計り知れない。親が無理やりお尻を叩いて勉強をさせるよりも、先を見据えて勉強好きにさせることがベストだと思います。

引用:リセマム

早いうちから勉強を好きになり、継続させる事こそが未来に繋がると語った河野さん。

その後、見事試験に短期合格し、最年少合格という偉業も成し遂げました。

 

中絶トラブルの相手とは?

輝かしい偉業と、タレントやYouTuberとして華やかな活動を行っている河野さんですが、その裏でスキャンダルも明らかになってしまいます。

それは、2019年6月週刊文集のスクープにより、明らかになります。

2019年6月13日に発売された『週刊文春』において女性スキャンダルが報じられる。文春によると、河野はある女性と出会いその日のうちに性交渉を行い、その女性が妊娠する。女性が河野に妊娠したことを告白すると、河野は「認知はできるけれども生むのは難しい」「今はまだ脳が発達していないから生きているものではない」「悲しいとかの感情があるわけじゃない」と言い、その女性は中絶手術を行った。後に河野には新しい恋人ができ、中絶手術を行った女性と最後に会うという約束に対して河野は「会えない」と連絡をし、警察にその女性の保護を依頼した。そのため、女性は河野と連絡をする際には弁護士を通じて連絡するという趣旨の上申書を警察署で書かされたという。

河野は文春の取材に対して、妊娠と中絶の経緯を認めた上で、「彼女を傷つけてしまった事に対して、深く反省をしております」とコメントした

引用:ウィキペディア(Wikipedia)

お相手の女性については伏せられており、判明している情報は、

・名前はイニシャルで、A子さん

・20代後半のタレント

・CMの出演経験もあり、モデル活動も行っていた

と少なく、特定にまでは至っていないようです。

A子さんは、中絶後、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を患うようになったと言われています。

法的な措置としては、問題無いのかもしれませんが、それだけで済む問題ではないので、残念に感じます。

当時は、ネットでも批判的な意見が多く飛び交いました。

大きな偉業を成し遂げテレビでも活躍していただけに、もっと慎重な行動をとってほしかったと感じる非常に残念なスキャンダルでした。

まとめ

幼少期から勉強に励み、日本人に数十人しかいないとされる、医師免許と弁護士資格の二つを短期で取得する偉業を成し遂げた河野玄斗さん。

大きなスキャンダルはありましたが、二度と同じ過ちを繰り返さないように反省して、これからも活動を続けてもらいたいと思います。