“大御所芸能レポーター”井上公造さんが来年3月にレギュラー番組全て降板のワケ!

芸能レポーターといえば、一番に思い浮かべるほどの有名人、井上公造さん。12月末で65歳、芸能リポーター歴は35年になるという。自身のYouTubeチャンネルで今月16日に自2022年3月いっぱいで全レギュラー9番組を降板することを明らかにした。芸能レポーターとして数々のスクープをとりあげ、井上公造さんなら…とインタビューを受けた芸能人も少なくない。そんな井上公造さんについて、振り返っていきましょう。

目次

井上公造さんレギュラー番組卒業の理由

「一番大きいのは体調の問題」と語る。7年ほど前から自律神経のバランスを崩し、「本番中にめまいがしたりだとか、膝から下が寒くなったりだとか」と具体的な症状について説明。さらには、本番中に倒れて病院に運ばれたり、本番が終わった後に病院に駆け込んだこともありましたと語る。薬の服用は欠かせない状態だった。
東京―大阪間を毎週複数回、27年間往復してきたツケなのか「ちょっと体を休めたい」と吐露した。

井上公造さんだからできた仕事

まだ記憶に新しいのは、日本テレビ系「情報ライブ ミヤネ屋」での矢口真里さんの『生告白』ではないだろうか。
矢口さんは男性問題をきっかけに約1年5か月間、テレビ番組の出演を控えていたが、井上さんが5ヶ月かけて所属事務所や本人、番組側も説得し『生告白』が実現した。これがきっかけで矢口さんが仕事に復帰することとなった。
このように、芸能界での「調整役」としても活躍してきた一面もあった。


画像引用:Yahooニュース

気になる今後について

今後はスポットでの出演依頼に応じつつ、コンサル的な仕事をやりたい。裏方としてやっていければ。ただ、自分が表に出るのではなく、裏方としてやっていければと思います、と語る。
芸能人や芸能リポーター仲間にも「面倒見がいい」兄貴肌の井上公造さんは、設立した事務所に複数人を迎え入れており、事務所社長の夫人も、「あなたの人生だから」と理解を示している。

井上公造プロフィール


画像引用:Yahooニュース

福岡県福岡市中央区生まれ。西南学院大学商学部卒業。
大学卒業後は、マスコミ関連企業に志願するも叶わず、明治屋に就職。しかし半年で退社。明太子メーカー「鳴海屋」に再就職。鳴海屋東京支社に転勤となり上京。
上京後、竹書房社員と知り合い、同社の契約社員になる。竹書房編集長までになるも退職。産経新聞に中途入社。サンケイスポーツ文化社会部記者となる。

1986年、30歳の時に芸能リポーターである梨元勝にスカウトされ、「株式会社オフィス梨元」の芸能リポーターに転身。その後独立し、1998年11月13日に「有限会社メディアボックス」を設立。2003年7月に改組し社名を「株式会社KOZOクリエイターズ」に変更。

現在の出演番組

おはよう朝日です(朝日放送テレビ) – 金曜日コメンテーター
情報ライブ ミヤネ屋(読売テレビ)
スッキリ(日本テレビ)
キャスト(朝日放送テレビ) – 金曜日コメンテーター
今田耕司のネタバレMTG(読売テレビ)
上沼・高田のクギズケ!(読売テレビ・中京テレビ)
キャッチ!(中京テレビ)
アサデス。(九州朝日放送)
藤田さいき・井上公造のゴルフエッセンス(スカイ・A)

まとめ

いかがでしたか?
井上さんは第一線を走り続け、常に週刊誌、新聞が報じたニュースの裏側を切り込んで伝える、芸能レポーターとして唯一無二の存在でした。
人を惹きつける人柄は誰もが認めるところ。時には芸能人と向き合い信頼関係を育んできました。
そんな”名”芸能レポーターとしての井上公造さんには、まず、お疲れ様と伝えたい。